d34257d9.JPG5月下旬、みつまたかぐらスキー場でのスプリングキャンプ、全日程終了して帰宅。久しぶりに会った小学2年生の娘が大歓迎、一緒に風呂に入ってくれました。風呂の中で娘はビックリ仰天。私の“手の甲”が顔に負けないくらい雪焼けして真っ黒だったからです。天気が良い日は手袋をしていると暑くてたまらないので、素手で滑って(レッスン)いました。その為に“手の甲”も雪焼けしてしまったのです。
娘には「これをスキー専門用語で“スキー土方焼け”と言うのだよ。スキー教師の勲章だ!」と教えてやりました。娘「?・・・・?」

想えば子供の頃もそうでした。岐阜と富山の県境の山奥で育った私は、いつも一人で滑っていました。学校が休みの日は早朝から。スキー靴を脱ぐのがめんどうなので昼飯は近所の犬と同じように外で食べ。日が落ちて暗くなり、心配した母が大声で私の名を叫ぶまで滑っていました。学校がある日はスキーを担いで登校、授業が終わると山の中を滑りながら帰宅、そのまま日が暮れるまでひたすら滑りました。春の暖かい日は素手で滑ります。当然“手の甲は真っ黒”に雪焼け。共同浴場に行くと大人たちに「手袋とって風呂に入りなさい」とよくからかわれました。そして、「何が楽しくて毎日一人で滑っているの?」よく聞かれました。しかし、子供の私は、“何故滑るのか”など考えた事もなかったので返答に困りました。

京大アメフット部・水野監督が朝日新聞のインタビューで「人間は何故スポーツをするのか?」という問いに次のように答えていました。それは「知的好奇心です。新しい世界を知るということがスポーツのだいご味。うまくなった時のことは、なってみなきゃわからない。自分の知らない自分を発見することで、人生観、世界観が変わる。それを追求する姿勢が知性です。」(注:知性とは“物事を知って考える能力”)
8月下旬、アルバイトの休憩中、汗を拭いながらこの記事を目にした時、私はどうしょうもなくスキーを滑りたい衝動に駆られた。そして、人生の理想と現実の狭間で、少し崩れかけていた“スキーを滑り続けるための土台”を再び心の中に作り直せたような気がしました。人は滑る(スポーツする)ことで、“心が進歩・成長”してゆくのだ。この“心の進歩・成長”が滑る(生きる)ための原動力なのだ。改めて想いました。

皆さんの周りに、退屈でつまらなそうに生活している人がいたら是非、スキー(スポーツ)をお奨め下さい。又、滑ることを忘れてしまった中高年の元スキーヤーの皆さん、再び雪の上へ戻ってください。古スキー板・古ウェア、古いといわれるテクニックでも充分に楽しむことができます。雪とスキー(スポーツ)は昔も今もそして、これからも同じです。

写真は友人の子供(姉妹)です。2月の晴れた日曜日の朝、ルーデンス湯沢スキー場で撮影。リフト乗り場まで「速く滑って」と緊急指令をだすと二人は楽しそうに競争しながら滑っていきました。とても良い滑りです。
●お互いに競い合う ●目標に向かって最短距離を滑る ●自分の技量・雪質・スピードに合わせたスタンス ●スピードコントロールする為の最小限のエッジング(プルークスタンスが見られます)
オーバーに表現すればワールドクラスのトップスキーヤーと基本的には同種類の滑りではないでしょうか。
この日、楽しく・本能で・野生的に滑る姉妹に「スキーのどこが楽しいの?」という愚問や、「テクニックを教える」などといった、その時点での馬鹿な行為はやめにしました。
“心(精神)が充実してハイな時”は大人も子供も自由に滑れば良いのです。教え過ぎないことが大切です。自然(雪)が多くの事を教えてくれます。真のスキー技術を学ぶ事ができます。

娘が大人になった時、いつも雪焼けしている父親をどうのように見てくれるのだろうか。また、女房と大学生の息子は今の私をどう思っているのだろうか・・・。(答えが恐ろしくて聞けません)
しかし、誰に何と言われようが、これからも100%以上の確率で“スキー土方焼け”していると思います。雪焼けした真っ黒な手の甲は、”何故滑るのか“に対しての私の答えだからです。(山藤)